天台宗東北大本山
| ただひたすら国道4号線を北上し、 中尊寺に着いたのが午後4時頃。 国道4号線を挟んで第一駐車場、第二駐車場があり 無料の第二の方へ車を止める事にする。 「あぁ、疲れた!」 距離にして約480キロ、時間にして約11時間、 何の変化も無い、面白味の無い国道4号線を走って来たのが 疲れを倍増させた気がする。 もう時間も遅かった為に、軽く境内を歩き 翌日の朝からじっくりと、建築物や仏像などを見学することにした。 で翌日、早朝から歩いてみる事に。 第二駐車場から、地下道を通って国道4号線を渡ると、 金色堂を表現した建築物が目を惹く。 |
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| 月見坂 参道入口には 大きな石仏が参拝する人達を迎えてくれる。 月見坂は金色堂への参道で 杉の巨木が左右にそびえ立っている。 |
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| 八幡堂 月見坂を登って行くと、最初にあるお堂。 やおよろずの神々の中で 八幡神は最も早く仏教にとけ込み 八幡大菩薩と尊崇されてきた。 天喜5年(1057)鎮守府将軍源頼義、義家 安倍氏追討のためこの地に至り、 ここ月見坂で戦勝を祈願したとの事。 |
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| 弁慶堂 由緒 藤原時代五方鎮守のため火伏の神として 本尊勝軍地地蔵菩薩を杞愛宕宮と称したそばに、 義経と弁慶の木像を安置す。 弁慶像は文治五年四月高舘落城とともに 主君のため最後まで奮戦し 衣川中の瀬に立ち往生悲憤の姿なり更に 宝物を陳列国宝の磐及安宅の関の勧進帳に 義経主従が背負った笈がある代表的鎌倉彫である。 |
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| 薬師堂 この薬師堂は藤原清衡公が中尊寺境内に 堂塔四0余字建立の一字であった。 その旧跡は現在のところではなく、 他に建立されたのであったが明歴三年(1657) 現在地に建立された。 堂内には慈覚大師作と伝えられる薬師如来が安置され 脇仏として日光菩薩、月光菩薩が安置されている。 また薬師如来の分身または化身とも言われる 十二神将が併置されているのは 中尊寺山内の薬師堂としては当堂しかないとの事。 |
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| ちょうど菊まつりが行われていた為、 参道の脇、本堂などに菊の花が置かれ 目を楽しませてくれた。 砂利道の参道も、途中からは舗装道に変わるのだけれど、 個人的に、古寺はやはり 情緒ある昔ながらの道であって欲しい。 |
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| 山門の前には 売店が何軒か連なっている。 くぐると左側に鐘楼があり 正面には立派な松の木、その向こうに本堂がある。 |
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| 中尊寺 本堂 ご本尊は阿弥陀如来。 藤原四衡公の御月忌、一日頓写経会を 始めとする法要儀式が行われる。 内陣では、伝教大師最澄以来受け継がれている 「不滅の法灯」が、絶えず法界を照らしている。 本堂の左側に置かれていた 義経と弁慶の菊人形が、一際目を惹いていた。 (本堂の脇に公衆トイレあり) |
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| 峯薬師堂 もと経塚山(金色堂の南方)の下にあったが、 天正年間(1573〜1591年)に荒廃、 のち元禄二年(1689年)現在の地に再建す。 御本尊は薬師如来の座像で カツラ材の寄せ木造り、金色に漆を塗り 金箔をおいたもので、藤原末期の作で 現在重要文化財として讃衡蔵に安置されている。 |
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| 宝塔 重要文化財 (平安時代) 五輪塔の一つの原始形式を成し、 塔身の四方に大円相を刻し内に梵字を 配置し大日如来を現わしている。 |
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| この日紅葉も見頃、 格別な思いで参道を歩く。 |
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| 鐘楼 当初は二階造りの鐘楼であったが、 建武四年(1337)の火災で焼失。 梵鐘は康永二年(1343)の鋳造。 銘に中尊寺の創建や建武の火災の事などを伝え貴重。 撞座の摩耗ははなはだしく、 今ではこの鐘を撞く事はほとんどない。 何故だかこの鐘楼には惹かれる物があった。 しばし見続け、色々な事を考えさせられた。 |
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| 讃衡蔵 奥州藤原氏の遺宝、国宝・重要文化財 3000点以上を収蔵。 展示室では三体の丈六仏、金色堂の仏具 副葬品、中尊寺経などを公開。 讃衡蔵にて拝観券(800円)を発行していて 讃衡蔵・金色堂を拝観する事ができる。 |
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| 金色堂 天治元年(1124)の造立で、 中尊寺創建当初の唯一の遺構。 皆金色の阿弥陀堂は、荘厳の限りが尽くされ、 まさに極楽浄土を現世にあらわしている。 御本尊は阿弥陀如来。その前に観音菩薩、勢至菩薩、 左右に三体ずつの六地蔵、最前列には 持国天と増長天が仏界を守護している。 中央の須弥壇の中に初代清衡公、向かって左の壇に 二代基衡公、右に三代秀衡公の御遺体と 泰衡公の首級が納められている。 |
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| 案内板には 中尊寺菊まつり「菊三十塔」と書かれていた。 |
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| 弁財天堂 當堂は宝永二年伊達家寄進の堂宇にして 弁財天十五童子像を安置す。 弁財天はインド薩羅薩伐底河より世じたる神にて 水に縁ふかく池、河の辺に祀られる。 又、妙音天とも称し河水の流るる 響きの如く能弁にして悩める衆生を 救い悦こばしむ。 |
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| 白山神社 仁明天皇の御代嘉祥三年(850)中尊寺の開祖 である慈覚大師が加賀の白山をこの地に勧請し 自らは十二面観音を作って中尊寺の鎮守白山権現 と号された。 現在ある能舞台は嘉永六年(1853) 伊達藩主伊達慶邦朝臣から 再建奉納されたもの。 (平成15年国重要文化財指定) |
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| 十二支一代守護神社 十二支生まれ歳守護神社をお詣りし 日々の護安泰、諸願成就をお祈りし守護大神の 御加護を受けましょうと案内板に。 ね、うし、とらと十二の小さい神社が連なり 一つ一つに○○生まれ守護神社と書かれていた。 |
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| 他にも大日堂・地蔵堂・阿弥陀堂・釈迦堂など 見所が沢山ある。 参道入り口には、FMガイドラジオ貸し出し所もあり 借りて聞きながら歩いてみるのも良いと思う。 讃衡蔵の三体の丈六仏、金色堂のきらびやかな装飾、 如来、菩薩、地蔵像などかなり見応えがある。 個人的には小高い所にある鐘楼、 能楽堂の色褪せてたけれど、 立派な松の木の画に妙に惹かれた。 |